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多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されるまで

妊活・妊娠

私は「多嚢胞性卵巣症候群」という排卵障害の診断をされています。

結婚して約1年が経った頃、

そろそろ子どもを持つことを考えたい

と思った時に、

自分がこの病気を持っていることを知りました。

この記事では、私が30代で多嚢胞性卵巣症候群と診断されるまでの話を、小学生の頃までさかのぼって書いていきます。

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多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)とは、卵巣で男性ホルモンがたくさん作られてしまうせいで、排卵しにくくなる疾患のこと。

排卵されない卵胞は卵巣にとどまってしまうため、超音波検査でみると、たくさんの卵胞(嚢胞)を認めることから多嚢胞性卵巣と呼ばれています。

大きな卵胞が数珠のように並ぶので「ネックレスサイン」とも呼ばれるそう。(確かに検査の時に、私の卵胞もまるでネックレスのようにも見えました)

女性の20〜30人に1人の割合で抱えている排卵障害だそう。意外と多いですよね。

私がこの病名の診断を受けたのは30代になってからですが、思えば、ちゃんと気づいて治療を受けることができるポイントはたくさんありました。

私の生理周期とピル

私の生理は、長期・不定期・そして出血量多め

初潮を迎えたのは小学6年生のころ。

当時から、私の生理周期は長め(32~38日)、そして不定期でした。

量も多く、中学校・高校時代は制服のスカートを汚してしまったことも何度かあります。

あの時は、夏服で色が薄い生地だったことをいかに恨んだことか…。

せめて冬服だったら良かったのに。

多感な時期に、なかなか辛くて屈辱的な出来事でした。

高校生、初めての婦人科へ

母には何度か「28日周期で来たことがないが、大丈夫なのだろうか」と相談したことがありますが、母自身も同様だったようで、あまり大きな問題とは感じていなかったようです。

高校生の頃に1度だけ、私が続けて腹痛を訴えたので、母付き添いの元、婦人科に行ったことがあります。

私にとって初めての婦人科。

内診があったのかさえ記憶がないのですが、少し厳しい雰囲気の女性の先生で、特に問題はなさそうだから漢方でも飲めば良いといったことを言われた気がします。

勇気を出して行った当時の私にとっては、かなり冷たい対応で、ショックな出来事でした。

理由は忘れてしまいましたが、漢方も飲みませんでした。

大学生活とピル

大学生になり一人暮らしを始めてからも、相変わらず酷かった生理痛。

時に鎮痛剤を飲んでも授業やバイトが辛い時期があり、出血量も多く、生理2日目は夜用ナプキンが昼の1~2時間でいっぱいになってしまうほど。

そんな時、ピルを服用している友人が周りにいることに気づきました。

ピル=避妊薬というイメージがあって、なんとなく嫌煙していた薬。

けれどいろいろ話を聞く中で、イメージが変わり、二十歳を超えてから自分の意思でピルの服用を始めました。

当時、母には服用のことを言えませんでした。

親元を離れて大学生活を始めてからピルを飲むようになったなんて知ったら、性が乱れていると誤解されるのが怖くて。

いまでこそ「ちゃんと話せば分かってくれただろう」と思えるのですが、生理不順の相談をした時も、婦人科に行った時も、普段は仲良しの母から妙によそよそしい雰囲気を感じてしまって、気恥ずかしい自分の気持ちも相まって「母とは性にまつわる話をしづらい」と決めつけてしまったのだと思います。

本当は、心配なことがいっぱいあって、母に話を聞いて欲しかったし、理解して欲しかったのに。

ファーストピルはマーベロン28

最初に服用されたのは、マーベロン28という低用量ピルでした。

服用してすぐ頭痛がしはじめ、嘔吐もしました。

産婦人科医のおじいさんからは、「しばらく続けて飲めば身体が慣れる」と言われて途中まで頑張って飲んだものの、生理時の比じゃない程に体調が悪い。

1シート飲みきらないうちに「私にこれは無理だ」と中断。

友人はマーベロン28で問題なく過ごしていたので、「私にはピルは合わないのだろう」と思い、その時はピルの服用自体を諦めました。


しばらく経った後、生理周期を移動させるために月経周期移動用のピルを求め別の病院に行った際に、以前の服用歴を話したあとで紹介されたのが、超低用量ピルのヤーズでした。

超低用量ピル ヤーズと出会って世界が変わった

マーベロン28と異なり、ヤーズを服用しても何の副作用もありませんでした。

生理周期は固定され、

予定が立てやすくなり、

衣服やシーツを血で汚すこともなくなった。

大げさなようですが、世界が変わった。

私にとってヤーズは手放せないものになり、

大学を卒業するころには、ピル服用の事実を母に落ち着いて話せるようになりました。

2013年にヤーズ服用女性の国内初の死亡例が出て、大きなニュースになりましたが、その後も血栓についての血液検査を定期的に受けることで、ヤーズを服用し続けました。

ピルの中断と再開

ピルの中断

20代後半になったころ、数年に渡って飲み続けて来たピルの服用を中止してみることにしました。

理由はいろいろありましたが、大きな理由は以下の2点。

  • 最初にヤーズを紹介・処方してくれたA病院の先生に、しばらく服用していれば自然にリズムが整うようになると言われていたから
  • 引っ越後、それまで通っていたB病院が遠くなったから

(しかもそのB病院は、なかなかヤバイ問題があったことが報道で発覚、最終的に廃院…)

その後の生理、ピルの再開

ピルを中断したあとしばらくは、定期的に生理が来て、出血も落ち着いていました。

しかし再び腹痛が重くなり、会社を休まなければならない日も出る程に。

そうかと思えば、50~60日生理が来ないことも。

出血量も増えていき、就業中に2度ほど衣服を汚し、私は再びピル服用を決意するのでした。

その後、夫と結婚します。

多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)に気づけなかった理由

振り返ってみて思うのは、

私は根本的な原因を知ろうとすることなく、

ピルの処方に頼りすぎていたということ。

そして何軒かの病院に通いましたが、どこの病院も

「生理痛が酷いのでピルが欲しい」と言うだけで、すんなりピルを処方してくれたという事実。

おそらく私はずっと多嚢胞性卵巣症候群を患っていたのに、

婦人科には数か月に1度足を運んでいたのに、

「おかしいのでは」と思うことは昔から何度もあったのに、

きちんとした診断を受ける機会がありませんでした。

結婚し、子どもが欲しいと思い、再開を始めたピルの服用を再び中断し、基礎体温をつけるようになってから、ようやく初めて「もしかして排卵していないのでは」と気づいたのです。



30代になって初めて気づいて、

既に結婚もしていたので、動揺したし、

ショックだった。


通院治療の間、早期発見できていれば何か違ったのではと何度も思いました。

若い方には、生理不順や長期化、経血の量など、

変だな・辛いなと思うことがあったら、とにかく早めに病院にかかって欲しいなと切に思います。