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ミッション:パンとコーヒー

つぶやき

今日は、予約した本を受け取るため、いつもとは違う図書館へ行った。家を出る前、ベビーカーで行っても良いものかと悩んだ。

図書館のある建物にエレベーターがあることは知っていた。しかし通路が狭かったり館内に段差があったりするのなら、抱っこ紐の方がスムーズだろう。だがしかし、6キロオーバーの息子と書籍を抱えて往復30分歩くのも、シンドイ。悩んだ末に図書館に電話をかけた。

「そちらの図書館は、ベビーカーで入れますか?」
「ベビーカーのために特別に何か対応しているというわけではないのですが、入れます。ベビーカーの方も多くいらっしゃいますよ」

落ち着いた男性の声の二言目の台詞にほっとして、ベビーカーで行くことに決めて準備を始めた。

おむつとお尻拭きシートの入ったポーチ、息子の着替え一式、おむつ替シート、抱っこ紐改めベビーキャリーのエルゴ。赤ちゃんとのお出かけは荷物が多くなると聞いてはいたけど、これだけで結構な容量だ。特にエルゴは、どんなに頑張って畳んでもそれなりに嵩張る。

産前は、ベビーカーを押しながらエルゴで赤ちゃんを抱っこしているママを見て、「なんでベビーカーがあるのに赤ちゃんを乗せないのかな」と不思議に思っていた。なんのこっちゃない。泣き叫んでベビーカーに乗せ続けられないケースがあるのだ。そんな時にエルゴがないと、片手で赤ちゃんを抱っこして片手でベビーカーを押すハードモードを強いられる。泣かれても環境ほか我が心共に問題がなかったり、適当に切り上げられる外出だったりしない限り、エルゴは持って行きたい。若輩ママメンタルへの保険みたいなものだ。ベビーカーのバスケットに、エルゴで一際膨らんだバッグを押し込んだ。

「パンとコーヒーを買って来てもらえたら嬉しい」

在宅勤務中だった夫が、外出直前の私に控えめな言い回しでオーダーをした。

パンとコーヒー。

明日の朝に必要な、パンとコーヒー。

そのへんのスーパーで手に入る、パンとコーヒー。

我々は銘柄にこだわりはない。

しかし、ベビーカー連れで済ませる買い物としては難易度が跳ね上がる。

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候補となるスーパーは、3店舗。

  1. 徒歩5分の小規模スーパー
    通路が狭すぎてベビーカーで入るという選択肢はない。
  2. 反対方向にある、同じく徒歩5分の中規模スーパー
    通れなくはない通路幅ではあるが、ゴミゴミしていて気を使う。
  3. 徒歩10分の大規模スーパー
    品揃え豊富で通路も比較的ゆとりあるが、めちゃくちゃ混む。レジはめちゃくちゃ並ぶ。

結婚して移り住んだこの街は、治安も空気も宜しくはないが、買い物には困らない便利な都会暮らしが大きなメリットだった。ベビーカー生活を始めて一変した。買い物しづらい。めっちゃしづらい。そこに都会暮らしとの因果関係はないのかもしれないけれど、今までのアドバンテージは大いなるダメージだ。

抱っこ紐にすれば、どのスーパーでもまあ何とかなるだろう。しかし今日は図書館に行くのだ。ベビーカーは必須だ。

夫には「買って来れたらね」と返す。
夫は「買えなかったら、俺が仕事後に買いに行くから大丈夫だよ」と返す。すまんね。ありがとう。

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まず、図書館に向かった。残念なことに、道中から既に息子の機嫌は悪かった。

図書館のあるビルの低層階に着く頃には、ベビーカーの座席で反り返って顔を真っ赤にして泣き出した。静かなビル内に息子の泣き声が響き渡る。エルゴを出して装着する時間も惜しくて、ベビーカーから息子を抱き上げた。彼は瞬時に泣き止んだ。「ベビーカーから下ろせ、抱っこしろ」と泣いていたらしい。満足そうだった。

私は息子の機嫌を取るべく縦に揺れながら、考える。

図書館のカウンターまでくらいなら、首が座りたての息子をこのまま左手で抱っこして、右手でベビーカーを操作できるだろう。でも返却予定の本を鞄から取り出そうとまごつく自分の姿が想像できる。ベビーカーのハンドルに掛けた鞄の中から予め本と貸出カードを取り出しておこうか。そうだ、息子の代わりに座席へ置いておこう。これで返却も予約本の受け取りも、片手でスムーズに何とかなるたぶん。

息子が再びへそを曲げないことを祈りながら、図書館のある高層階へと移動する。

図書館は混雑していた。ベビーカーの座席に置いた本を取って、返却カウンターに提出する。次は、貸出カウンターだ。予約していた本の受け取り場所は、大きなL字のカウンターテーブルの奥側で行われている。

貸出カウンターに向かうまでの数秒の合間に、息子が再びぐずり始めた。ひそやかにあやしながら、ベビーカーを押して貸出希望の最後列に並ぶ。息子を抱き縦揺れしながらぎこちない手付きでベビーカーを操作する私に同情したのか、高齢男性が貸出カウンターに並ぶ順番を譲ってくれた。すみません、と思わず小さくなった。

無事に本を借り終わる頃には、背中に大量の汗をかいていた。
静かな図書館に、小さな息子の大きな泣き声が響き渡ることはなかった。
息子は寝た。良かった。

パンとコーヒー。

明日の朝に必要な、パンとコーヒー。

悩んだ末に、ショッピングモールの中の美味しいパン屋に足を運んだ。
入り口から食パンの陳列位置を確認し、人が店内に少なくなるのを見計って入店。5枚入りの食パンを手に取り、最短距離でレジカウンターへ。本当はトレイを片手にパンを吟味したいけれど、息子がスヤスヤなうちに買い物を済ませたい。

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コーヒーはどこで買えるかと思いながらパン屋を出たら、左手にもスーパーがあることを思い出した。

普段使いじゃなく、ちょっと珍しい銘柄を買う時に便利な店だ。だからちょっとお高いけれど、これも止む無し。慣れない棚の間をジグザグ通って、コーヒーまで辿り着く。選ぶ時間も惜しくて、目についた「横浜珈琲物語」を手に取った。レジに向かいながらベビーカーに目を落とすと、息子の大きな目がぼんやり開いている。

起きたか。
泣くか。
でもまだ寝ぼけているようだ。
今のうちだ。

できる限りのスピードで支払いを済ませて、食パンの入ったエコバッグにコーヒー粉の袋を突っ込み、ショッピングモールの出口に向かう。息子がうにゃうにゃ言い始めたが、買い物は終わった。

泣かれずに落ち着いて買い物ができた。良かった。

いやいや、落ち着いた買い物はできていない。
いつ息子がうわーんと言って周囲の注目を集めるのかと終始ヒヤヒヤだった。泣いても泣かれなくても、所在なさで身が縮んでいる。子供の泣き声、ベビーカー、きっと恐れているほど世の中は不寛容ではないはずなのに。誰に咎められた経験もないのに、どんどんハードなミッションに仕立て上げているのは誰なんだ。そういう母でありたくない。

先週の見頃を過ぎた桜の木が、青い葉を芽吹かせて風に揺れている。外の空気で気分が変わったのか、息子はいつの間にか落ち着いた様子でベビーカーに収まっていた。

パンとコーヒー。

毎朝食べる、パンとコーヒー。

次はもう少し、ゆとりある心で。